『ふくしま百年基金』キックオフイベント  ここからはじまる「ふくしま百年基金」(3)

6.パネルディスカッション

鵜野さん「海外では『ふくしま』が『ひろしま』と共に認知度が高い」

天野さん「チェルノブイリに行ったときに『ふくしま』の折り鶴と

『ひろしま』の折り鶴があって、それぞれの方向を向いていた。

パネリスト紹介

 ●農業法人でんぱた 鈴木正美さん

福島県の農産物をタイ、バンコクでPR販売した。

当時、福島の農産物の販売が伸び悩んでいる状況だった。

福島県の農産物が海外で販売されているという事実を伝え

「これからがんばろう」という気持ちを持ちたかった。

今年11月下旬に矢祭町の矢祭米が、タイで有名な百貨店やスーパーで始めて販売された。

コストに合うか、合わないかは、これからの環境整備の問題になる。

ただ「つながりを持とう」という人たちを大切にし、継続していきたい。

 ●(一社)グロウイングクラウド 三部香奈さん

大学卒業後、新聞記者を約10年経験した。結婚・出産を機に専業主婦になった。

震災をきっかけに「誰かがやってくれるだろう」というこれまでの考えから

「自分でできる何かをやろう」というふうに変わった。

郡山市でコワーキングスペースをやっている。

ここには事業を始めたばかりの方、これから起業したい方、

会社員をやりつつ、自分のスペースが欲しい方など、幅広い方々が集まってくる。

 ●いわき経済同友会 常任幹事 寺主君男さん

家業は写真館。いわき市の経済同友会の中で40数年間、地域作り、まちづくり、人づくりをやってきた。

        (以下敬称略)

 

天野:あなたの描く百年後のふくしまとは?

 

鈴木:人口減少の中で自分のふるさとの風景が、いろんな方に幸福を与えているということを考えると、

  ふるさと「矢祭町」の風景を100年後に残していきたいと思う。

  自分にとって矢祭町はホッとできる場所、最後に帰りたいところである。

 

三部:百年後はどらえもんの「どこでもドア」のように、

  不可能なことはなくなってるんじゃないかなと思います。(笑)

  自分の夢や目標に向かっていくことで、自分が輝くことができる。それを応援し合える。

  一人ひとりの個性を認め合える人材がたくさん育っていく。

  そんな力をもった人たちが、ふくしまからたくさん巣立っていく社会。

(鵜野:苦労したことがあったからこそ、チャレンジできる。

  チャレンジャーが多い社会。それができる場所が「ふくしま」になればいい)

 

寺主:学校の教壇に立ったことがあるが、子どもたちにはいつも「夢を持て」

  「目標をもたないと何もできない」と言っている。

  平成28年度から社会科の中学校の教科書を編纂した。

  きっかけは「子どもたちが将来、この震災があった地域で、

  自分たちのまちをどう思って、将来を支えられるか」ということがあったから。

  歴史があって、将来ができると常に思っている。

  新潟市長、会津若松市長、郡山市長、いわき市長を呼んで「防災経済シンポジウム」もやった。

  これによって新潟市と防災協定、郡山市と人事交流ができた。

  将来は貿易を拠点とするいわき市にしたい。

(鵜野:「地域をよくしたい」という夢は最大の経営資源だと思う。

  10歳のときによくやる1/2成人式で将来の夢を語らせるが、

  大人が子どもの前で夢を語ったことはあるか?

  「夢は経営資源」まず大人が夢を語らなければ。常に家庭で話し合うことが大切)

 

天野:実現に向けてどのような取り組みを行っていますか?

 

三部:人との出会いをきっかけに、私自身が「一歩を踏み出せた」ことを経験して

  「スペシャリスト女子会」をつくった。

  自分の好きなこと、得意なことを提供したいという場で毎月開催している。

  多様な方が集まることでコラボレーションがうまれたり、

  そこから一歩を踏み出す人が出てくることがうれしい。

  それができたのは震災後「誰かがやってくれるだろうではなく、自分がやらなきゃ」

  という気持ちの変化と、仲間がいて応援してくれる人たちがいたから。

  「おもしろそうだな」という気持ちだけだった(笑)

 

鈴木:自分のできることは「農産物を売り続ける」こと。

  矢祭町は準農村地帯で、日本にはそういう地域がたくさんある。

  そしてそれを支えているのは高齢者と女性たち。

  そういう方たちがつくる「少量の生産物」を、自分たちがいかに売るか。

  それによって年金が少しでも上積み、定年退職後の農業就業者を増やすことである。

  元々は農協の職員だったので、農業がそんなに儲かる仕事ではないことは、

  よくわかっていた。だが「地域密着型のやり方で矢祭町の農業を支えよう」と

  勤務先の合併を前に退職し、40歳なかばで起業した。

(鵜野:39歳で起業した。前の職場は1,300人くらいの従業員がいた。今の会社は

  社員20名くらいの小さな組織。しかしソーシャルセクター、

  社会セクターにチャレンジしていると、同僚が10万人いるくらいの感じがする。

  すごい仲間がたくさんいる感じで楽しい)

 

天野:鈴木さんは「自分がやらなきゃいけない」と思った?

 

鈴木:自分がやらなきゃいけないと思った。農業法人をつくって矢祭町の農家さんの農業を支える。

  大げさに言うと「これでダメなら日本の農業はダメだ」というくらいの気持ちがあった。

(鵜野:私も起業した方の話を聞いていると「最後まで諦めない」勇気があるじゃないですか。

  勇気がどこから生まれるのかということに興味がある。

  「誰かのためにやる。応援してくれる人」人間との関わりでやっぱり勇気が生まれ

  最後までがんばれるのだと思う)

(天野:震災関連死について研究している。「なぜ自殺をするのか」というと、

  人と人との関わりがなくなってきたとき)

天野:三人の方のお話しを聞いていると良質のドキュメンタリーを見ているような気持ちになる。

  いつまでも聞いていたいが時間の関係で、会場の皆さんにメッセージを伝えてほしい。

 

寺主:人との出会いが大切。それが大きく人生に影響する。震災の時に一番苦労したのは特区のこと。

  ずっと「特区、特区」と言っていた。いわき市は3つの特区をとった。

  自分の目標を決めていくことが大切。いわきでの百年基金の話が今日からでるなら、

  今がスタートだ。

 

三部:これから起業したい人を支援していく中で、「誰のためにどんな価値を提供するか」が大事。

  自分がだれかのために貢献できているという実感が、私達の生きがいになるのだと思う。

  そういう体験を、ビジネスだけではなくボランティアでもいい。

  いろんな手法があると思う。子どもたちから大人まで。

  そういうことに百年基金を使えたらなと思っている。

  「一人じゃないんだよ」ということを伝え、ふくしまをよくしていきたい。

 

鈴木:百年基金のスタッフの方々にお礼を伝えたい。最初に事務方の山崎さん、斉藤さんが

  事務所にお見えになって基金の立ち上げの話をされた。

  この場で「百年基金をご一緒したいな」と思った。

  …というのは震災後、首都圏との取引がゼロになった。その時に「この事業をやめようかな」と思った。

  しかし仲間のことを考えると、もう少し頑張ろうと思い、国や県にいろいろな申請を行った。

  ただ国とか県の事業の中だけで福島県の復興はなし得ないと思う。

  復興のために市民レベルで「こんなこともやりたい」「あんなこともやりたい」

  「ここをうめてほしい」と思っている事業は、市民レベルでたくさんあると思う。

  それを「白紙から立ちあげる『百年基金』でうめていけたらいいな」と思った。

 

  青写真がなくて市民レベルで話し合って、白紙から立ちあげたいという

  『百年基金』の考えに僕は賛同した。

  本当に市民が「やってほしい」ということがあって、それを精査して

  「市民レベルで一から立ちあげる」という考えに賛同したので、

  仲間に声をかけて(矢祭町の)説明会に行った。

 

鵜野:全国でも地域のコミュニティ基金がたちあがっている。

  ふくしまで一番ほんとに地域の未来ができる基金が立ち上がるんじゃないかと思っている。

  これだけ地域をがんばっているみなさんがいて、子どもたちがいて。

  百年基金という「百年先」ということは「人生百年時代」という現代ともつながっている。

  人間がこういう時代で幸せに生きていくというものが、今回のことと、つながっていくのではないか。

 

  その共感をつなげる基金は、基金に共感の連鎖がつながらないとできない。

  一人の人が300万円をポンとだすよりも、1万円を300人に集めるということが成功する確立が高い。