「福島の花」野口勝宏 写真展 記念イベント 野口勝宏トークショー(2)
郡山市にあった県の施設「ビックパレットふくしま」は、震災後「福島県最大の避難所」になった。避難所が閉鎖されるまでの約半年間の様子を、避難者のつぶやきと画像で綴った1冊「生きている 生きていく ビックパレットふくしま避難所記」に登場する人たちの表情は自然体だ。避難所という「非日常」の中での暮らしを余儀なくされた人たちに「自然体」という言葉は、ふさわしくないかもしれない。この人たちの表情を生み出したきっかけは、実は「花の持つチカラ」だった。
フェイスブックを通して、多くの人が楽しんだ野口氏の「福島の花」は「ここは花の島」というタイトルの写真集として発刊。郡山市の書店で写真展が開かれた。口コミで話題をよび、福島県内はもとより、キヤノンギャラリー銀座・梅田・仙台・札幌のほか、成田国際空港などでも写真展を開催。2014年、2015年春の大型観光キャンペーン「福が満開、福のしま」ではJR東日本のメインイメージに採用され、ポスターや駅構内、ラッピング車両を花で彩った。
一方、幼稚園でのワークショップや、仮設住宅に住む方たちと花との撮影会などの社会貢献も積極的に行っていく。「花を通した活動で、みなさんに喜んでいただくと、それが自分の喜びになる。これは仕事で得る喜びとはまた違う嬉しさだ」と氏は語る。
その活動を昨年からサポートしているのが、
今回のトークショーの聞き手、橋森あかりさんだ。
橋森さんは福島県郡山市出身。東京外国語大学大学院修了。東日本大震災のときは東京都に住んでいた。NPO支援のプロボノとして活動してきたが、2014年春に福島県にUターン。現在仕事のかたわら「福島の花」プロジェクトの事務局を務め、「福島の花」写真展の企画、運営を担当している。
震災の時は都内にいた橋森さんは「ふるさと福島県のために何かしたい」とずっと思っていたという。野口氏の「福島の花」のことは知っていた。氏が成田空港で写真展をやったとき、英訳を手伝ったのをきっかけに、その後「野口さん、多くの方に『福島の花』を届けたいので、他の場所でも写真展を開催させていただけませんか」と声をかけた。氏はその趣旨に賛同し、橋森さんが「福島の花」プロジェクトを立ち上げ、福島県新地町図書館で2015年1月に写真展を開催。開催中は小中学生を対象に、野口氏と一緒にオリジナルの「福島の花」作品を作ったり、「福島の花」の切り貼り絵を作ったりするワークショップも開いた。
花をじっくり観察したことがあるだろうか。恥ずかしながら私はない。花のシールを形どおりに丁寧に切り取る過程で、花の美しさを発見できる。中には、続けてワークショップに参加する子もいたという。橋森さんによると写真展に訪れた人がいつのまにか話し出す姿をよく見かけたそうだ。例えば、展示されている花の思い出話から、過去のつらかった体験など。花には人々の気持ちをほぐす力があるのだろうと、橋森さんは考える。
東日本大震災から4年経った3月、ニューヨークで開催された追悼式には「福島の花」のことも紹介された。ニューヨーク福島県人会などが主催した式典である。海外から、ふるさとを思う人たちの気持ちを、野口氏の撮った花が癒やす。
橋森さんの提案で「ふくしまの花ポスト」が誕生した。2011年3月11日に起きた震災から4年が経ち、震災で壊れた福島の風景は日々変わってきているが、人々の気持ちはどうだろうか。心の奥にしまい込んだままになってはいないだろうか。人生のハレのとき、あるいは終焉のとき、あるいは日常の様々な場面で、花は私たちの心に寄り添う。ふくしまへの思いを花に託して言葉にしてもらえたら。花の思い出や、そのような思いをポストに届けて欲しいと。
「今年は県内各地で花の撮影に出かけ、展示会を開催する予定です」橋森さんは語る。
野口氏の「福島の花」を通して、いろいろな場とつながりたい。あるいは「福島の花」を媒体として各地域のまちづくりの一助になれたら……。夢はますます広がっていく。
「ゆっくりとやっていきます」と笑顔の橋森さん。
野口氏の「福島の花」を通して、ふくしまを愛する人たちの心がつながっていく。