震災を語るとき「画像の力・言葉の力」(2014.1.12)

私は3.11からずっと表現者として、写真家の方が羨ましかった。

 

画像は事実だけが写る。 感想・判断は、画像を見た人がするだろう。

画像にゆだねられた撮影者の「思い」はあっても

言葉よりもずっと正確に、受け手に伝わることだろう。

 

画像の持つ強さ、と同時にシンプルさの前に、

言葉はかなわないと感じていた。

 

でも先日、ある文章と対談を読み

初めて「言葉を編む立場」でよかったと思えた。

 

人は、いろいろな経験を重ねていくうちに

思いが変化することがある。

 

思いの変化を表現する手段として

「画像」「映像」「言葉」などがあるとしたら

細やかな思いの変化を受け手に伝える手段としては

「言葉」が一番細かく、より的確に伝わるのではないか。

 

 

生きていると、いろいろな障害に出会う。

その障害をどう受けとめて、どう感じたかを表現する手段として

一番的確なのは、その人の「言葉」なのではないかと。

 

あとは、その言葉をどう引き出すのか。

これは言葉を編むものの力にかかっている。