防災女子力UPセミナー受講記(1)
多様な専門機関、専門家、ボランティア等との連携・協働がなぜ必要か(1)
2012年10月から5回にわたり、福島県男女共生センターで開催された「女子“防災”力UPセミナー」11月3日(土)は、天野和彦氏(福島大学うつくしまふくしま未来支援センター特任准教授、おだがいさまセンターセンター長)の講演だった。
当時福島県の生涯学習課職員だった天野氏は、2011年4月11日からビックパレットふくしまに支援に入った。「避難所から死者がでるかもしれない」という恐れを抱いた県が、当時相馬市の避難所にいた天野氏をよんだのだ。ここから氏はスライドを使い、震災当時の様子を当時の新聞と、避難所の画像などを通して話し始めた。
---天野氏の話より---
5月29日、浪江町の男性が一時帰宅した自宅で自殺した。
酪農家である彼は「震災さえなければ」と壁に遺言を書き残した。
彼の無念さが私たちにわかるだろうか。
「ふるさとが、なくなるということ」
この意味を考えてみよう。
ふるさとを追われたある17歳の高校生の夢。それは「自分の学んだ学校の教室に戻ること」
3月11日の日「はやく逃げなさい」という先生の指示に従って校庭に出た。
彼女は、そのまま避難所に行き、そして今もふるさとに帰れない。
これが今の福島県が置かれている状況なのだ。
地震のすぐ後に起きた原発事故。富岡町役場は幹部職員だけ集めて会議を開いた。
それは夜明けまで続いた。
「町民を避難させよう」明け方近く、町長が決断する。
町長の決断に従って、3月12日午前7時に避難命令が出た。
富岡町から川内村に向かって長い長い車の列ができた。その様子が3月13日付けの地元新聞に載る。
川内村の方に向かった車の行列。進む早さは1時間にたった50メートル。
平時にあって、私たちはその様子を想像することができるだろうか。
いや、想像する力が必要なのだ。
支援に一番必要な力は何か。技術でも、知識でもない。
支援に一番必要なのは「想像力」なのである。